私事ですが、最近本を読むことにはまっています。
読書に時間を割いていると、学生だった頃を思い出します。
小中学生のときは、文字通り時間を忘れて本に熱中していました。
あの日の感覚が今になってよみがえってくるとは、人生何があるか分かりませんね。
ある日、気になる本をジャンル問わず読んでいると、こんな言葉が書いてありました。
考えることは対話性を含んでいる。
つまり何かを考えるということは、他者もしくは己自身との対話によって成り立つと言っているのです。
考えること、思考することは、勉強において切っても切れない要素です。
ですが
「考えるとは何か?」
ということを深く考えたことはなかった気がします。
少し哲学めいてしまっているかもしれませんが、おもしろい話題な気がしたので、今回まとめてみたいと思います!
頭を使う
「頭を使いなさい!」
この記事を読んでいる方も、このセリフを言ったり言われたりしたことがあるかもしれません。
私も子どもの頃は、母親から「自分の頭を使って考えなさい」とよく言われていた記憶があります。
ですが頭を使うって何でしょうか?
考えることと同じ意味でしょうか?
振り返っても、子どもながらに考えながら生活をしていた気がするので、頭を使っていた気がします。
ならば「頭を使って考えなさい」と言われるのは心外な気もします(笑)
ですが子どもの頃の記憶を辿ってみると、「頭を使え!」と言われる際には、あるきっかけがありました。
それは私が母親によく言っていた
「○○ってどういう意味?」
という質問です。
目に見えたもの、テレビから聞こえてきたこと、何か分からない言葉や出来事があれば
「これどういう意味?」
と質問していた記憶があります。
そうすると面倒くさそうに
「自分で考えなさい」
「自分で調べなさい」
と言われていました。
つまりは自分で解決しろということです。
たしかに一方的に質問をする私のこの行為は、頭を使っているとはいえないかもしれません。
しかし
考えることは対話性を含んでいる。
この言葉を信じるならば、私の質問(対話)を受け流していた母親は、私の考えるきっかけを奪っていたともいえるかもしれません😂
もしこのときに母親がうまいこと話を切り返してくれていたら、私は会話を始めて頭を使っていたことでしょう。
なんとも残念な幼少期の記憶…
というのは冗談ですが、考えることは対話であるという片鱗を垣間見た気がします。
それは会話は考え始めるきっかけになるということです。
たとえば分からない言葉があって、それを調べるとたしかに知識は身につくでしょうが、思考力は変わりません。
しかし誰かにその言葉の意味を聞いて、相手が少しずつヒントを出したり例を挙げたりしてくれると、どういう意味なのか考えるきっかけになるでしょう。
そう思うといくら子どもの雑な質問でも、それを拾ってあげる立場にある人間は、その子の思考力を鍛える大きな責任を負っているのかもしれません。
親という立場や先生と呼ばれている人の立場は、責任重大というわけです。
話をすることの大切さ
塾で思うことですが、(私もそうであったように)上手に質問をしてくれる生徒というのは少ないです。
なぜその質問をしているのか意図が読み取れない場合や、そもそも聞きたいことが汲み取れないことがあります。
皆さんも経験があるりませんか?
何を聞きたいのかよく分からない質問をされたりしてしまったこと。
それでは返答に困ってしまいますよね。
しかし上で述べたように、質問は会話のきっかけになります。
それはつまり考え始めるきっかけでもあります。
ということを本から学んだので、雑な質問をされた際は、それに答えようとするのではなく会話しようと思うと、こちらも対応しやすくなります。
つまり分かりにくい質問をされたときは、それに答えようとあれこれ勝手に思案するのではなく、それを足掛かりに会話に持っていけば良いのです。
むしろ子どもから話題提供してくれているのですから、この子が何を思って話しかけてきたのか、まるで謎解きでもするかのようにこちらも楽しんで話をすれば良いのです。
そしてこの子の質問や会話が少しずつ成熟していってくれたら、教師冥利に尽きるのではないでしょうか。
会話は記憶に残る
これは余談ですが、塾で働いていて嬉しく思う瞬間がいくつかあります。
点数が上がったり受験に合格したり、勉強に関して成果が出るとやっぱり嬉しいです。
これは子どもも嬉しそうにしてくれるので、一番のやりがいと感じている先生も多いと思います。
そしてもう一つは、勉強中にしろ休憩中にしろ子どもと会話ができたときです。
会話というとすごくハードルが低い気がするかもしれませんが、ここでいう会話は一方的な会話にならず、いわゆる会話のラリーがきちんとできたときです。
お互いに考えや思っていることを、伝え受け止め返すという流れは、簡単なように思えてとても難しいです。
私もそんなラリーができずに
「下手な会話をしてしまった・・・」
と反省することが多々あります。
そんな大人でも難しい理想的な会話を、子どもとできた暁には、やっぱり嬉しさを覚えます。
ただ勉強の成果と違って、子どもは何も感じていないかもしれない点が少し残念ではありますが(笑)
とはいえそういった会話をした瞬間は、今でも記憶に残っています。
それはもしかするとちゃんとした会話は思考するからこそ、記憶に残っているのかもしれません。
思考の時間は・・・
人が一日の中で、創造的な思考をしている時間は、7秒程度。
本にはこのようにも書いてありました。
意外と短いですよね。
しかしいわれてみると、たしかに何か「新しいこと」を考える時間は、非常に短い気もします。
日々生活する中で考える瞬間は多くあるでしょうが、それは経験則やこれまでの反復に基づく行為が多いです。
考えているようで、機械的な作業になってしまっているのでしょう。
7秒しか思考していないといわれると悶々としてしまいますが、例外となる時間があります。
それは誰かと話をするときだそうです。
会話にはいろいろなメリットがあるといわれています。
例えばストレスが和らいだり、相手とより深い関係になったり、充実感を得られたり、知見を広げられたり、、、
多くのメリットがあります。
ですがそれだけではなく、考える時間を増やせることが分かっているとのことです。
つまり他者との会話によって、一日数秒しか思考できない私たちが、長時間考えることを可能にするそうです。
もちろんただの愚痴を言い合っているだけでは違いますが、何か一つでも複数でも誰かとそのことを共有しながら話すことで、思考する時間を延ばせます。
私は本を読みながら気づきましたが、何か一人で考えるときも、頭の中で誰かと会話したり説明したりするように考えています。
これはつまり自分一人でも考えをまとめたり発展させたりする際には、架空の会話をしているのです。
それも思えば自然とそうしていたように感じます。
考えるために会話して、思考を深め、記憶に定着させているということです。
会話をしよう!
テストでは良い点を取れるのに、会話はへたくそ。
塾で生徒と接していると、たまにこのような子に出くわします。
へたくそというと失礼かもしれませんが、まだまだ自分中心の会話といいますか、会話のキャッチボールができない子は多いです。
塾としては良い成績が取れているのだから、これ以上言うことはありませんが、この本を読んだ後だと少し思うところがあります。
こうやって文字にまとめていると、会話は思考するために大事だと感じました。
それは事実です。
ですがもっとシンプルに考えても良いのかなとも思いました。
それは
「会話は楽しい!」
という風にです(笑)
先ほど塾で子どもと会話ができると嬉しいと書きましたが、これは塾や子どもだけに限らず、誰とでもこれまでの人生を振り返ってもそう思います。
感動する体験をしたり、美しい景色を見たり、時には悲しい思いをしたり、、、
そういった記憶に残る瞬間、自分の糧になる瞬間には、誰かとの会話が同じようにあります。
私も昔子どものときに、友達とハイタッチしたり喧嘩したり、好きな子と話していたときに交わした言葉は、忘れずに心の中に残っています。
当時はいろいろな感情が入り混じっていたかもしれませんが、今思えば総じて楽しい記憶です!
子どもという多感な時期でこそ、感じられたものもあります。
そんな経験を、ぜひ今の子どもたちにもしてほしいと思います。
ということで、考えるとは何か走り書きですが考えてみました。
これまでスカラフルでは楽しく勉強をしようをモットーにしていましたが、プラスして会話も楽しめる教室を目指したいですね!
そんなきっかけをくれた本との出会いについてでした。
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